余地の有無

アイドルに必要なものは、「ファンが想像する余地の存在」だと思います。その空白の存在があるからこそ、ファンはある程度自由にアイドルに対し「キャラ付け」することができ、そこに自分の理想を投影することで、ますます好きになるのです。

であるからには、現在のアイドル全般にいえる「押し付け的な情報公開」は非常に疑問。オフィシャルサイトで、本人ブログで、イベントで、DVDで、雑誌で、テレビで、ネットで。もう、様々な場で、当然のようにアイドル個人に関する情報の公開がなされています。

このことによって、「あー、こんなこと考えてるんだ」「こんな子だったんだ」。その子の意外な面を知ることが出来るかもしれません。より、親しみがわき、身近に感じられるようになるのかも知れません。知名度アップにつながるのかも知れません。

しかし一方で、こうして情報が公開されればされるほど、ファンにとっては、最も大事な「想像の余地」が狭められることになります。ある一定の姿が見えてしまうことで、確実に「想像」が限定されます。

具体的には、どこかでポロッと「バカ」が見えた子に、もはや「賢い」を想像できません。どこかでポロッと「品のなさ」を見せた子に、もはや「上品さ」を求めることはできません。「スキャンダル」で解雇された子がいつのまにか復帰してきても、もはや「アイドル」として見ることは出来ません。

そこでどうするか―――