「だけが好き」の偽善

どんなにこちらが、「○○ちゃんだけ」「だけが好き」「だけ見られれば良い」と、1人のアイドルに執着してみても、そのアイドルにとっては、所詮「一対多」。数多くのファン*1の中のひとりにすぎません。


にも関わらず、ファンの側が、そのアイドル1人に100%懸けちゃうのが理解できない。


アイドルの側が「一対多」なんだから、当然にファンの側も「たくさん応援するアイドルの1人」でいいのではないか。「○○ちゃんも△△ちゃんも××ちゃんも好き」。そんな多くの「好き」のうちの1人でいいのではないか。


オフでご一緒する方々やメールでやりとりしてる方々は、よくご存知のように、わたしの「好き」は、会う度に変わってます。べリーズ、ピチレといった、好きなグループなり、一定の集合体なりがあり、その中で「好き」はローテーションしていく感じ。


「この子が好き!」が、いつのまにか「こっちが好き!」になり、あるときは「嫌いだった子を好きに」になったり、「好きだった子を嫌い」になったり。


こういった「変心」は、「ある程度の好き」である応援対象が何人もいるからこそ可能なのであり、だからこそ、飽きないで長続きすると思ってます。で、そんなものだから、「1推し」というのは自分の中に存在しない。「現時点で好き」は挙げられますが、それが明日、1週間後、1ヵ月後も1推しだとは絶対言えない。


個人を好きになるんじゃなく、グループ総体を好きになる。モデルでいうと、ピチレというという「ブランド」を好きになる。で、そこに現在する個人をたまたま一時的に好きになる。


「この子だけ!」「○○ちゃんだけ!」。あんまりに力が入りすぎてる、全力で1人のタレントを追いかけるファンをみるにつけ、常々「わたしとは違うな〜」と思うと同時に、これにある種の胡散臭さ、その「○○ちゃんだけ」という自身の「純粋さ」「一途さ」に酔い、「この子を分かってるのは私だけ」といった、「自己満足」を感じざるを得ません。


―――ということで、ご意見・ご感想は、今度会う時にでも(笑)

*1:数多くのファンがいないアイドルは以前書いた「距離感」の問題。近すぎて「被認識」に関わるファンの側の「勘違い」が発生しやすくなります