コラム「G氏の功罪」

ちょっと前までのジュニア誌の読者層は、本来の対象である「小中学生」と、いわゆる「大きなお友達」といったように、完全に2極化していました。お互い、決して交わることなく、並行して存在していました。


「小中層」は、純粋におしゃれやファッションに興味があり、モデルに憧れる本来の読者層です。「裏舞台」「事務所」「大人の事情」といったこととは無関係に存在していました。


一方、「大きな層」はどうだったのでしょうか。ここは、”自称プロ”たちが青田買い目的に「事務所云々」「将来性云々」「劣化云々」。大いなる”知ったか”をもって、その閉鎖された環境において存在していました。日記*1で用いるモデル名の表記には「当て字」や「隠語」を使うのが特徴的です。こうして、小中層に発見されることなく、「大きな層」は分離独立して、ひっそりと存在していたといえます。


そして、2005年。ここでG氏の登場です。


G氏は、日記で「大きな層」的なネタを取り入れつつ、しかしその軸足は絶対的に「小中層」に置くという奇手を用いました。まさに、これまでなかったG氏の日記によって、なんとなく「小中特有の世界」に対し物足りない思いを抱いていた、現役小中層を中心に、ある程度の読者を獲得していったのです。


で、そんなG氏の功績は、なんといっても「事務所の考え方を定着させたこと」といえます。それまで、もちろん「大きな層」においては常識だったことも、「小中層」はまったく新鮮に感じられたようです。*2


具体的には、G氏の代表的な造語として「非AD」が上げられます。当時、最初に使い始めたころは、「【非AD】という語句で検索してみたら2件しかヒットしなかった(うち1件は自己サイト)」そうです。それがいまや、数千数万単位でヒットし、かつ、いろいろな掲示板やYahoo知恵袋などで、普通に定着しています。


まあ、厳密に言えば「非AD」という言葉は、実際には「選考としてのAD」を経ているわけで、必ずしも正しくないんですが、それはそれとして。。。


とにかく、「事務所についての考え方」を広めたという1点において、G氏の功績といっていいのではないでしょうか。

*1:当時はブログではなく日記

*2:同時に、「現場派」を徹底的に攻撃し、返す刀で、現場に出演するモデルまでもを一刀両断。小中層から多大な賛同を得ると同時に、「大きな層」からは、完全に絶縁されてしまいました。また、そのあまりの正論(暴論)に、小中層からも「言いすぎ」批判も巻き起こり、抗議メール殺到