実在する必要性の有無

 
        −−●要被認識 (S氏)
●要実在 −−|
        −−●認識不要 (o氏)


        −−●要被認識 (−−)
●実在不要−−|
        −−●認識不要 (筆者)


S氏、o氏、筆者、それぞれのアイドルに求めるもの、アイドルに対するスタンスは三者三様。そこで、これまでの議論やメールでのやりとりを元に、簡易分類してみました。


根本的な相違は、「実在する必要性」。現実に「そのアイドル」が実在する必要があるのか。それとも、実在を必要とせず、心の中や画面の中における理想としての空想上の存在でいいのか。


そこでまず、イベントに参加する、ライブに行くなど、直接に触れる機会を求め、アイドルを直接関われる対象であって欲しいと位置づけするのが、上の「要実在派」。対して、「空想の存在」であり、心の中に存在すればよく、別に実在する必要など全く無いというのが「実在不要派」と分類します。


さらに、上記2派を、それぞれ「認識」の点で分類。「要被認識派」は、アイドル本人に、ファンである「私」が認識されたい、認められたい、と考えるタイプ。ライブに参加するときは最前列。イベントは、プレゼント持参。ファンレターを書き、積極的に触れ合う機会・関わる機会を求める。で、イベント等に通い詰める上で、やがてアイドル本人に認識してもらうことを願う。


対する「認識不要派」は、まさに「柱の陰から見守る」タイプ。ライブでは、最後列で観戦。イベントも、遠くから見守る。アイドルに認識されることを欲しないので、ファンレターもプレゼントもなし。文字通り「見守る」ことを主眼とする応援の仕方。ただし、その会場で何が起こったか、アイドルが何を発言したか、どんなイベントだったかなど、そのアイドルに関する事象は全て知っていたいので、必ずどこにでも足を運び立ち会って「見守る」。ブログも出演番組も、ファンサイトの掲示板なども、チェックを欠かさない。


なお、「認識」に関しては、筆者のように「実在不要」の立場を取ると、アイドルを現実に存在しないものであると捉えるため、当然に自身を「認識される」ことはありえず、「要被認識」という分類は無くなります。


空想で、妄想で、理想で、架空の存在。写真の中・画面の中だけの存在で、永遠に変わらない。それでいいじゃないかというのが「実在不要派」。2次元の世界に近いかもしれません。すでに完成されたものを追いかけ、これから新たな展開は無いという保証の元、ファンになったアイドルに対して、さらに「性格」「キャラ」を自分の理想どおりに補強しつつ、最終的に究極の理想形に近づけていく。S氏に言わせると「アイドル人形論」とのことですが、まさにそんな感じ。


「実在必要」で一致、「認識」の点で見解の分かれるo氏とS氏で共通するのは「リアル」であってこそ、という点。対して、「認識不要」で一致、「実在」の点で見解の分かれる筆者とo氏で共通なのは、「認められたい」「認識されたい」「記憶されたい」という願望のない点。


o氏は「古いタイプのアイドルファン」を自称するように、アイドルとファンとの垣根・境界を強く意識。安易にファンと交流するアイドル、現在の流行であるファンとアイドルとが同じ位置に立つことに対して、ものすごく否定的。アイドルを、「気軽に触れ得ないもの」「手の届かないもの」であり、永遠の「憧れ」「理想」と捉えます。


「実在」の点で立場は異なりますが、筆者とo氏とが共通するのは要認識派への不信。かつて「U-15・F スキにさせて」のデータサイトをやってたr氏が、秋山莉沙ファンサイトをやってたG氏を徹底的に批判してましたが、この対立を傍らで見たのが原点。


まさに認識派にありがちな、r氏の理論。まず、「認識されたい」が高じて、「認識された!」になります。で、次にそれが「影響を与えたい」「悪い点を矯正したい」「アドバイスしてあげる」に変わります。やがては「オレが教育した」「オレが育てた」「オレが動かしてる」へと行き着くわけです。外形上、わずかに存在した「そう見える」点を都合よく拡大解釈しての結論であり、その実は錯覚・勘違いに過ぎません。


と、以上のように分類してみたわけですが、どうやらこの3人、一般的アイドルファンの中でも、やや「天の邪鬼」でありやや「異端」。ということで、これらが「アイドルファン分類」の普遍パターンとは決してなりえないようです。